残念な和歌山 温泉編

和歌山の温泉が弱いのではない。物語が分散しているだけだ。

白浜、勝浦、湯の峰、川湯、龍神、渡瀬、椿、加太。和歌山には多様な温泉地があります。それでも「温泉県」として思い出されにくい理由は、温泉が弱いからではなく、物語が分散しているからです。

海辺から山あいまで湯けむりが広がる和歌山の温泉を象徴する記事ビジュアル
和歌山の温泉は弱いのではなく、白浜、勝浦、湯の峰、川湯、龍神の物語が分散しています。

和歌山の温泉は弱いのだろうか。

草津、別府、箱根など全国の代表的温泉地と和歌山の温泉の違いを整理した比較図解
和歌山の温泉は、ひとつの温泉街で勝つよりも、白浜・勝浦・湯の峰・川湯・龍神を束ねて読むほうが強く見えます。

たぶん、そうではない。

白浜温泉がある。

南紀勝浦温泉がある。

湯の峰温泉がある。

川湯温泉がある。

龍神温泉がある。

渡瀬温泉がある。

椿温泉がある。

加太淡嶋温泉もある。

県内の源泉数は500を超える規模で確認でき、わかやま12湯のように県内温泉地を束ねて発信する取り組みもある。

つまり、和歌山に温泉がないわけではない。

むしろ、ある。

かなりある。

それなのに、「温泉といえば和歌山」とは、なかなか言われない。

草津。

別府。

箱根。

有馬。

城崎。

道後。

下呂。

登別。

こうした名前は、温泉地としてすぐに思い出される。

和歌山なら、白浜温泉は出るかもしれない。

でも、その先が続きにくい。

湯の峰。

川湯。

勝浦。

龍神。

渡瀬。

椿。

加太。

これらが一つの「和歌山の温泉」として束ねられて記憶されているかというと、そこはまだ弱い。

今回の温泉特集で見えてきたのは、そこだった。

残念なのは、湯がないことではない。

湯はある。

しかも、かなり濃い。

残念なのは、その湯が、県全体の物語として束ねられていないことだ。

白浜は強い。でも、強すぎる

和歌山の温泉を語るとき、白浜温泉は外せない。

白浜は強い。

海がある。

白良浜がある。

円月島がある。

三段壁がある。

千畳敷がある。

アドベンチャーワールドがある。

空港もある。

東京からも入りやすく、大阪からも行きやすい。

さらに、白浜温泉は日本三古湯として知られ、日本書紀や万葉集にも登場する古湯として案内されることが多い。全国比較でも、白浜は「古湯でありながら海辺のリゾートとして成立している」ことが強みとして整理できる。

つまり、白浜は和歌山の温泉の入口として十分に強い。

問題は、強すぎることだ。

和歌山の温泉イメージが、白浜で完結してしまう。

「和歌山の温泉といえば白浜」

これは間違いではない。

でも、それだけでは足りない。

白浜の外側には、まったく違う温泉がある。

勝浦は、海と港と洞窟風呂の温泉だ。

湯の峰は、熊野詣の湯垢離場として語られる温泉だ。

川湯は、川を掘ると湯が出る温泉だ。

龍神は、山の静養と美人の湯として知られる温泉だ。

渡瀬は、自然滞在型の大露天風呂の温泉だ。

椿は、落ち着いた湯治の温泉だ。

加太は、和歌山市側の海辺温泉だ。

白浜が強いからこそ、その外側が見えにくくなる。

これが、和歌山の温泉の最初の残念ポイントである。

熊野は「世界遺産」として語られ、温泉が隠れる

もう一つ大きいのが、熊野の強さである。

熊野は、世界遺産として強い。

熊野古道。

熊野本宮大社。

熊野速玉大社。

熊野那智大社。

那智の滝。

紀伊山地の霊場と参詣道。

こうした言葉は、和歌山の観光イメージとしてかなり強い。

だからこそ、熊野にある温泉が、温泉としてよりも「熊野観光の一部」として見られやすい。

湯の峰温泉は、まさにその代表である。

湯の峰温泉は、熊野本宮大社に近い山あいの温泉地で、熊野詣の前に身を清める湯垢離場として使われてきた。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の中でも、湯峯温泉は熊野本宮大社近くにある湯垢離の場として位置づけられている。

そして、その湯の峰温泉にある「つぼ湯」は、現在も入浴できる温泉として案内されている。

これはかなり強い。

世界遺産の文脈で語れる湯に、いまも入浴できる。

しかも、単なる観光温泉ではなく、熊野詣の湯垢離という歴史を持つ。

でも、県外の人にとっては、

「熊野古道」

「世界遺産」

「本宮」

という大きな言葉の中に、温泉の印象が吸収されてしまいやすい。

熊野が強い。

だから、湯の峰や川湯や渡瀬が「和歌山の温泉」として前に出にくい。

これも、かなり残念である。

勝浦は、温泉より「まぐろ」と「那智」で覚えられやすい

南紀勝浦温泉も、かなり強い。

那智勝浦町の観光情報では、源泉数177と案内されている。温泉資源としても規模があり、海景、洞窟風呂、港、熊野灘、勝浦湾と結びつく温泉地である。

さらに、勝浦には温泉以外の強い要素がある。

生まぐろ。

那智の滝。

熊野那智大社。

熊野古道。

海。

港。

紀の松島。

これだけある。

全国比較の整理でも、勝浦は「海景、洞窟風呂、熊野観光拠点、生まぐろ」という組み合わせで強みを持つ温泉地として捉えられる。

でも、ここでも同じ問題が起きる。

勝浦は、温泉としてだけ覚えられない。

まぐろの町。

那智の入口。

熊野観光の拠点。

港町。

そういう記憶の中に、温泉が混ざっている。

もちろん、それは悪いことではない。

むしろ、勝浦の魅力である。

でも、「温泉県・和歌山」というイメージを作るうえでは、少し難しい。

白浜のように温泉地名としてストレートに記憶されるというより、勝浦は複数の要素が重なりすぎている。

温泉が弱いのではない。

周辺の物語も強いのだ。

それが結果として、温泉の印象を分散させている。

龍神は、山の秘湯として独立している

龍神温泉も、また別の方向に強い。

龍神温泉は、日本三美人の湯として知られる。

日高川沿いの山あいにあり、高野龍神スカイラインや渓谷景観と結びつく、静かな山の温泉である。

白浜や勝浦のような海の温泉とは、まったく違う。

龍神は、海辺の明るさではなく、山の静けさで語る温泉だ。

全国比較でも、龍神温泉は歓楽性や都市性ではなく、「山中で肌と身体を整える静養の質」が価値として整理されている。

これは大きな強みである。

ただし、県全体の温泉イメージという意味では、やはり分散する。

龍神は「和歌山の温泉」というより、

「龍神温泉」

として独立している。

高野山や山岳ドライブ、秘湯、静養、美人の湯と結びつく。

それはそれで強い。

でも、白浜や勝浦や湯の峰と一緒に「和歌山の温泉」として記憶されているかというと、そこは弱い。

龍神は強い。

でも、強いからこそ独立している。

ここも、和歌山の難しさである。

川湯は、異色すぎて「温泉県」の枠に収まりにくい

川湯温泉は、説明した瞬間に強い。

川を掘ると湯が出る。

これだけで勝てる。

大塔川の川原を掘ると温泉が湧き、自分だけの露天風呂を作れる。冬には「仙人風呂」と呼ばれる大きな露天風呂も現れる。全国比較でも、川湯温泉は「説明した瞬間に勝つタイプ」と整理されている。

これは、本当に異色である。

温泉施設に入るのではない。

川そのものが温泉体験になる。

浴場というより、地形が温泉になる。

かなり和歌山らしい。

ただし、これもまた「温泉県」のイメージとしては難しい。

川湯は、あまりにも特殊である。

草津の湯畑。

城崎の外湯めぐり。

有馬の金泉・銀泉。

こういう分かりやすい温泉地ブランドとは違う。

川湯は、どちらかというと「体験」として記憶される。

川を掘る温泉。

仙人風呂。

熊野本宮の近く。

そういう個別の体験としては強い。

でも、県全体の温泉イメージに束ねるには、編集が必要になる。

これも、弱いのではない。

むしろ強すぎて、少し変わっている。

和歌山の温泉らしい困り方である。

つまり、和歌山の温泉は「別々の勝ち方」をしている

ここまで見てくると、答えはだいたい見えてくる。

和歌山の温泉は、一つひとつの力が弱いのではない。

それぞれが、別々の勝ち方をしている。

白浜は、海辺リゾート古湯として勝っている。

勝浦は、海と洞窟風呂とまぐろで勝っている。

湯の峰は、世界遺産の文脈と熊野詣の湯垢離で勝っている。

川湯は、川を掘る温泉体験で勝っている。

龍神は、山の静養と美人の湯で勝っている。

渡瀬は、自然滞在型の大露天風呂で勝っている。

椿は、落ち着いた湯治の湯で勝っている。

加太は、紀北の海辺温泉として勝っている。

全部、方向が違う。

だから、一つのキャッチコピーにしにくい。

でも、だからこそ面白い。

全国比較の調査では、和歌山は「一県内に複数の全国ブランド要素が分散して共存している」と整理されている。白浜の古湯、湯の峰の世界遺産文脈、龍神の美人の湯、勝浦の海と洞窟風呂、川湯の河原自噴など、それぞれが別県に分かれていてもおかしくない要素を持っている。

ここが、和歌山の温泉の本質である。

一つの強い温泉地ではなく、違うタイプの温泉が同じ県内にある。

海の湯。

山の湯。

川の湯。

巡礼の湯。

湯治の湯。

この幅がある。

それを「まとまりがない」と見るか。

「多層的」と見るか。

ここで、和歌山の見え方は変わる。

全国ランキングでは見えにくい価値がある

全国の温泉ランキングは便利である。

草津。

別府。

箱根。

有馬。

城崎。

道後。

下呂。

登別。

そうした温泉地が上位に並ぶのは、よく分かる。

強い。

分かりやすい。

街として完成している。

アクセスもある。

湯の印象もはっきりしている。

でも、ランキングは万能ではない。

ランキングで見えやすいのは、一つの温泉地として完成している場所である。

湯畑がある。

外湯街がある。

巨大温泉都市である。

首都圏から近い。

温泉街の世界観が整っている。

こういう温泉地は、ランキングで強い。

一方で、和歌山のような分散型の温泉県は、ランキングでは見えにくい。

白浜は白浜として評価される。

湯の峰は湯の峰として評価される。

龍神は龍神として評価される。

勝浦は勝浦として評価される。

川湯は川湯として評価される。

でも、それらを束ねた「和歌山の温泉県としての厚み」は、ランキングには出にくい。

全国比較の調査でも、和歌山はランキング上位に入りやすい単一温泉街型ではなく、いくつもの全国級の希少価値を束ねた「厚みのある温泉県」として見るべきだと整理されている。

これは、かなり大事だ。

和歌山を評価するなら、どの温泉地が全国何位かだけでは足りない。

一つの県の中に、どれだけ違う温泉体験があるか。

そこを見る必要がある。

和歌山は「温泉版の周遊県」として語るべきだ

では、和歌山の温泉はどう語ればいいのか。

答えは、かなりはっきりしている。

温泉版の周遊県。

これである。

白浜だけを推すのではない。

もちろん、白浜は入口として強い。

でも、その先に勝浦があり、湯の峰があり、川湯があり、龍神がある。

和歌山の温泉は、ひとつの温泉街で完結するのではなく、旅の目的によって行き先が変わる。

海を見たいなら、白浜や勝浦。

熊野と結びつけたいなら、湯の峰、川湯、渡瀬。

山で静かに過ごしたいなら、龍神。

湯治や落ち着いた滞在なら、椿。

紀北の海辺なら、加太。

こういう分け方ができる。

全国比較の調査でも、和歌山は「海・山・川・世界遺産を一県で湯巡りできる」という方向でPRするのが筋が通っていると整理されている。

この考え方なら、和歌山は草津と同じ土俵に立たなくていい。

別府と同じ土俵にも立たなくていい。

箱根と同じ土俵にも立たなくていい。

和歌山には、和歌山の勝ち方がある。

海・山・川・巡礼を、温泉でつなぐ。

それが、和歌山の温泉の見せ方として一番強い。

それでも「温泉県」として思い出されにくい理由

ただし、この見せ方は、まだ十分には定着していない。

だから、和歌山は「温泉県」として思い出されにくい。

理由は三つある。

一つ目は、白浜が強すぎること。

和歌山の温泉イメージが、白浜で止まってしまう。

二つ目は、熊野や勝浦や龍神が、それぞれ別の文脈で強いこと。

熊野は世界遺産。

勝浦はまぐろと那智。

龍神は美人の湯と山。

川湯は川を掘る体験。

それぞれが別々のブランドとして立っている。

三つ目は、県全体をつなぐ言葉がまだ弱いこと。

「わかやま12湯」という取り組みはある。

でも、名前を並べるだけでは、県外の人には伝わりにくい。

必要なのは、物語の束ね方である。

白浜、勝浦、湯の峰、川湯、龍神を、それぞれ別々に売るのではなく、

海・山・川・巡礼の湯

として見せる。

あるいは、

温泉版の周遊県

として見せる。

そうすることで、和歌山の温泉はようやく一つの県イメージとして立ち上がる。

温泉がないのではない。

物語が散っている。

だから、束ね直せばいい。

残念な和歌山としての結論

この温泉特集で言いたかったことは、かなりシンプルである。

和歌山の温泉は弱くない。

むしろ、強い。

白浜は、海辺リゾート古湯として強い。

勝浦は、海と洞窟風呂とまぐろで強い。

湯の峰は、熊野詣の湯垢離場として強い。

川湯は、川を掘る温泉として強い。

龍神は、山の美人湯として強い。

渡瀬は、自然滞在型の温泉として強い。

椿は、湯治の湯として強い。

加太は、紀北の海辺温泉として強い。

しかし、それぞれが別々に強い。

だから、県全体としては見えにくい。

ここが残念なのだ。

和歌山の残念さは、いつもそうかもしれない。

醤油もそうだった。

湯浅に源流があるのに、全国イメージは千葉に行く。

真妻わさびもそうだった。

名前の由来は和歌山なのに、わさびといえば静岡になる。

カツオもそうだった。

紀州の漁民の足跡があるのに、カツオのたたきといえば高知になる。

みかんもそうだった。

温州みかんの収穫量では強いのに、みかんといえば愛媛のイメージが強い。

梅もそうだった。

和歌山は圧倒的に強いのに、梅干しの外側にある梅システムまでは知られにくい。

パンダもそうだった。

白浜は世界でも有数の繁殖実績を持ちながら、全国的な象徴性では上野に隠れがちだった。

温泉も、同じ構造である。

価値がないのではない。

むしろ、価値はある。

でも、その価値が全国の記憶に届く前に、別の県や別の文脈に持っていかれる。

あるいは、県内で分散してしまう。

これが、残念な和歌山である。

白浜だけで終わらせるには、和歌山の湯はあまりにも濃い

最後に、もう一度戻りたい。

和歌山の温泉は、白浜だけではない。

白浜は大事だ。

和歌山の温泉の入口として、白浜はこれからも強い。

でも、白浜で終わってはいけない。

湯の峰に行けば、熊野詣の湯垢離がある。

川湯に行けば、川そのものが温泉になる。

勝浦に行けば、海と洞窟風呂と生まぐろがある。

龍神に行けば、山の静養と美人の湯がある。

渡瀬に行けば、自然の中の大露天風呂がある。

椿に行けば、静かな湯治の時間がある。

加太に行けば、紀北の海辺温泉がある。

和歌山の温泉は、一つの顔では終わらない。

海がある。

山がある。

川がある。

巡礼がある。

湯治がある。

世界遺産の文脈がある。

だから、和歌山はもっと温泉県として語られていい。

ただし、草津のようにではない。

別府のようにでもない。

箱根のようにでもない。

和歌山は、和歌山の温泉として語ればいい。

海・山・川・巡礼を湯で巡る県。

そう見れば、和歌山の温泉はかなり強い。

残念なのは、温泉が弱いことではない。

白浜だけで終わらせるには、和歌山の湯があまりにも濃いことだ。