残念な和歌山

醤油といえば千葉。でも、最初の一滴は和歌山だった。

湯浅の金山寺味噌、千葉・銚子の醤油文化、紀州人の足跡から、知られざる和歌山の源流を読み直します。

湯浅の醤油蔵と仕込み桶をイメージした、醤油文化発祥の地を伝えるビジュアル
湯浅の醤油文化をイメージしたアイキャッチ。実在するロゴや建物は再現していません。

醤油といえば、どこを思い浮かべるだろう。

関東の人なら、たぶん千葉を思い浮かべる。野田のキッコーマン。銚子のヤマサ。ヒゲタ。スーパーの棚にも、家庭の食卓にも、千葉の醤油メーカーの名前は当たり前のように並んでいる。

でも、その「醤油」の源流をたどると、和歌山県湯浅町に行き着く。

和歌山、またしてもそういうところである。発祥の話は持っている。でも、全国的なイメージは他県に持っていかれている。

残念。でも、そこが面白い。

醤油醸造の発祥の地、紀州湯浅

和歌山県湯浅町は、「醤油醸造の発祥の地」として知られている。

湯浅の醤油の起源として語られるのが、金山寺味噌である。鎌倉時代、紀州由良の興国寺に関わる僧が、中国から金山寺味噌の製法を伝えたとされる。その金山寺味噌を造る過程で、野菜や穀物から出た液体が「たまり」として生まれた。

この「たまり」を調味料として改良していったものが、湯浅醤油の起源とされている。

いま私たちが何気なく使っている醤油は、いきなり現在の形で生まれたわけではない。味噌づくりの副産物のように生まれた液体が、やがて調味料として磨かれ、地域の産業になり、全国へ広がっていった。

その出発点のひとつが、紀州湯浅だった。

でも、醤油のイメージは千葉が強い

ここが「残念な和歌山」らしいところである。

醤油の発祥を語るなら湯浅が出てくる。でも、現代の多くの人にとって、醤油のイメージは千葉のほうが強い。

理由は分かりやすい。千葉には、野田と銚子という大きな醤油産地がある。

野田にはキッコーマン。銚子にはヤマサ醤油やヒゲタ醤油。

江戸時代、巨大都市となった江戸では、そば、寿司、天ぷら、うなぎなど、濃い味の醤油と相性のよい食文化が発達していった。そこに近かった下総国の野田や銚子では、江戸の人々の嗜好に合う関東風のこいくち醤油が発展していく。

つまり千葉は、醤油を「江戸の味」にして、「全国ブランド」に育てた場所だった。

これは強い。発祥の物語より、毎日の食卓にあるブランドのほうが、人の記憶には残りやすい。

湯浅は源流。千葉は普及とブランド化。

この違いを見ないまま「醤油といえば千葉」となると、和歌山の存在はきれいに背景へ消えてしまう。

千葉の醤油史にも、紀州人がいる

ただし、話はここで終わらない。

千葉の醤油史をたどると、そこにも紀州の人が出てくる。

ヤマサ醤油の創業者である初代濱口儀兵衛は、紀州から銚子へ渡った人物とされる。ヤマサ醤油は、1645年に銚子で創業した。

銚子は、利根川水運と太平洋に面した地の利を持ち、江戸市場にも近かった。さらに、紀州と似た気候もあり、醤油づくりに適した土地として発展していった。

つまり、千葉の醤油文化は千葉だけで完結していたわけではない。

紀州から人が動き、技術や商いの感覚が移り、江戸という巨大市場に合わせて醤油が育っていった。そう見ると、和歌山と千葉はライバルというより、醤油文化の流れの中でつながっている。

ここが面白い。

和歌山は「発祥の地」として始まりにいる。千葉は「江戸の味」として広めた。そして、その千葉の醤油史にも紀州人の足跡がある。

和歌山は、なぜ知られていないのか

では、なぜ和歌山の醤油発祥はあまり知られていないのか。

理由はたぶん、単純だ。

千葉には全国ブランドがある。和歌山には源流の物語がある。

ブランドは毎日目に入る。源流は、調べないと出てこない。

キッコーマンやヤマサの名前は、スーパーでも、食卓でも、飲食店でも見る。一方で、「湯浅が醤油醸造の発祥の地」と知るには、湯浅を訪れるか、食文化の歴史に興味を持つ必要がある。

日常の接触回数で、和歌山はどうしても不利になる。

でも、これは和歌山が弱いという話ではない。むしろ、和歌山らしい残念さである。

素材はある。歴史もある。でも、自己紹介が控えめすぎる。

最初の一滴は、和歌山にあった

醤油といえば千葉。これは間違っていない。

千葉は、醤油を江戸の食文化と結びつけ、関東風のこいくち醤油を発展させ、全国的なブランドに育てた。

でも、醤油の源流をたどるなら、和歌山県湯浅町を外すことはできない。

金山寺味噌から生まれた「たまり」。それを調味料として磨いていった湯浅。そして、紀州から銚子へ渡り、千葉の醤油史にも関わった人々。

和歌山は、醤油の表舞台では少し影が薄い。でも、最初の一滴の物語には、ちゃんと和歌山がいる。

醤油といえば千葉。でも、最初の一滴は和歌山だった。

それを知られていないところまで含めて、実に残念な和歌山である。