和歌山の温泉といえば、まず白浜温泉が思い浮かぶ。
それは自然なことだ。
白浜は強い。
白良浜があり、円月島があり、三段壁があり、千畳敷があり、海辺のリゾート温泉として分かりやすい。
しかも、日本三古湯として語られる歴史もある。
東京からは南紀白浜空港で入りやすく、関西からも行きやすい。
和歌山の温泉の入口として、白浜温泉は間違いなく強い。
ただし、そこで止まると、和歌山の温泉はかなり見えなくなる。
南紀勝浦温泉がある。
龍神温泉がある。
川湯温泉がある。
渡瀬温泉がある。
湯の峰温泉がある。
椿温泉がある。
加太淡嶋温泉もある。
さらに、わかやま12湯という広域PRの枠組みもある。わかやま12湯は、和歌山県内の温泉地を束ねて発信する取り組みで、公式サイトでは「和歌山県=温泉といった知名度は低い」という課題意識も示されている。
つまり、和歌山の温泉はないのではない。
ある。
かなりある。
問題は、それが一つの県イメージとして見えにくいことだ。
なぜ見えにくいのか。
理由は、和歌山の温泉が一色ではないからである。
白浜は海辺のリゾート。
勝浦は海と港と洞窟風呂。
龍神は山の美人湯。
川湯は川そのものが温泉になる。
渡瀬は自然滞在型の大露天風呂。
湯の峰は熊野詣の湯垢離場。
椿は落ち着いた湯治系。
加太は和歌山市側の海辺温泉。
それぞれの方向が違う。
だから、和歌山を「温泉地」として一言で説明しようとすると、かえって弱く見える。
でも、見方を変えると一気に面白くなる。
和歌山の温泉は、海・山・川・巡礼で見ると分かりやすい。
和歌山の温泉は、白浜一強ではなく「分散型」である
全国の有名温泉地には、分かりやすい中心がある。
草津なら湯畑。
別府なら湯けむりと地獄めぐり。
城崎なら外湯めぐり。
有馬なら金泉・銀泉。
箱根なら首都圏近郊の総合観光圏。
そういう強い記号がある。
和歌山の場合、白浜温泉はその役割をある程度担っている。
でも、和歌山県全体を見ると、白浜だけでは説明しきれない。
温泉が一か所に集中しているというより、海沿い、山あい、川沿い、熊野本宮周辺に分散している。
この分散が、和歌山の分かりにくさであり、同時に面白さでもある。
全国比較の調査でも、和歌山は単一ブランドで勝つ温泉地というより、海・山・川・世界遺産を一県で湯巡りできる「温泉版の周遊県」として見るほうが強い、という整理ができる。
ここが大事だ。
和歌山の温泉を、草津や城崎のような一つの温泉街として見ようとすると、たぶん負ける。
でも、白浜から勝浦へ、熊野本宮へ、龍神へ、加太へと見ていくと、まったく違う姿が見えてくる。
和歌山は、ひとつの巨大温泉街ではない。
温泉の意味が、県内を移動するごとに変わる県である。
海の湯:白浜、勝浦、加太、太地、串本
まず分かりやすいのは、海の湯である。
和歌山は海の県だ。
紀伊水道があり、太平洋があり、黒潮が流れ、紀伊半島の海岸線が長く続く。
温泉も、当然、海と結びつく。
白浜温泉
白浜温泉は、和歌山の海の湯の代表である。
白良浜の白い砂。
円月島の夕景。
三段壁や千畳敷の海岸景観。
海を見ながら入る露天風呂。
白浜の強さは、温泉と海辺リゾートが一体になっているところにある。
歴史も古い。
白浜温泉は日本三古湯として知られ、日本書紀や万葉集にも登場する古湯として案内される。全国比較の調査でも、白浜は「古湯でありながら海辺のリゾートとして成立していること」が本質的な強みとして整理されている。
つまり白浜は、ただの観光温泉ではない。
古さと海辺リゾートが重なった温泉地である。
南紀勝浦温泉
白浜と並ぶ海の湯として、南紀勝浦温泉もかなり強い。
那智勝浦町の観光情報では、勝浦温泉の源泉数は177と案内されている。海辺の温泉地として、県内でも有数の規模を持つ。
勝浦の魅力は、白浜とは違う。
白浜が明るい海辺リゾートなら、勝浦は港と海景と洞窟風呂である。
熊野灘。
勝浦湾。
島景観。
洞窟風呂。
生まぐろ。
那智の滝。
熊野那智大社。
これだけ要素がある。
にもかかわらず、全国的には白浜ほど「和歌山の温泉」として思い出されにくい。
これは少しもったいない。
勝浦温泉は、温泉だけでなく、海と食と熊野観光の拠点として見るとかなり強い。
全国比較の調査でも、勝浦は「海景、洞窟風呂、熊野観光拠点、生まぐろ」という組み合わせで整理されている。
白浜が「海辺リゾートの湯」なら、勝浦は「港と熊野の湯」である。
加太淡嶋温泉
加太淡嶋温泉は、和歌山市側の海の湯として押さえておきたい。
和歌山の温泉というと、どうしても紀南のイメージが強い。
白浜。
勝浦。
熊野本宮。
龍神。
そのあたりが出てくる。
でも、和歌山市側にも海辺の温泉はある。
加太は、友ヶ島への玄関口でもあり、淡嶋神社、港町、海景、夕景と結びつく場所だ。
大規模温泉街というより、海辺の宿と景色の温泉である。
ここを入れると、和歌山の温泉が「紀南だけのもの」ではないことが見えてくる。
太地温泉・串本温泉
太地温泉や串本温泉も、海と結びつけて見たい。
太地は捕鯨文化の町であり、海浜温泉としての顔を持つ。
串本は本州最南端、橋杭岩、紀伊大島、黒潮と結びつく。
どちらも、温泉単体で全国に名を売るというより、土地の物語と一緒に語るほうが強い。
和歌山の海の湯は、白浜だけでは終わらない。
海辺リゾート。
港。
洞窟風呂。
夕景。
黒潮。
熊野への入口。
海の湯だけでも、かなり幅がある。
山の湯:龍神温泉
海の湯とまったく違う顔を持つのが、龍神温泉である。
龍神温泉は、山の湯だ。
日高川沿いの山あいにあり、高野龍神スカイラインや渓谷景観と結びつく。
海の開放感ではなく、山の静けさがある。
龍神温泉は「日本三美人の湯」として知られている。和歌山県公式観光サイトや龍神観光協会も、美人の湯として紹介している。
ただし、ここでも気をつけたい。
「美肌効果」を医療的に断定するのではなく、歴史的・観光的な呼び名として扱うのが安全である。
龍神温泉の魅力は、薬効を大げさに言うことではない。
山深い場所で、静かに湯に入ることだ。
白浜や勝浦のような海の景色はない。
その代わり、川の音があり、山の空気があり、夜の静けさがある。
全国比較の調査では、龍神温泉は歓楽性や都市性ではなく、「山中で肌と身体を整える静養の質」が価値として整理されている。
これはとても分かりやすい。
龍神は、賑わう温泉街ではない。
派手な観光地でもない。
でも、静養の湯として強い。
海辺の白浜とは、まったく別の温泉体験である。
ここが和歌山の面白さだ。
同じ県内に、白浜のような海辺リゾートと、龍神のような山の静養地が同居している。
温泉の意味が、まったく違う。
川の湯:川湯温泉と渡瀬温泉
和歌山の温泉で、説明した瞬間に強いのが川湯温泉である。
なぜなら、川を掘ると温泉が出るからだ。
川湯温泉
川湯温泉は、熊野本宮温泉郷の一つである。
川原を掘ると湯が湧く。
自分だけの露天風呂を作れる。
冬には「仙人風呂」と呼ばれる大きな露天風呂が現れる。
これは、普通に強い。
温泉施設に入るのではなく、川そのものが温泉体験になる。
全国比較の調査でも、川湯温泉は「説明した瞬間に勝つタイプ」と整理されている。川を掘ると湯が出るという体験は、全国的に見てもかなり異色である。
川湯温泉は、温泉街としては大きくない。
城崎のような外湯街ではない。
草津のような湯畑もない。
でも、そんなことはどうでもよくなる。
川を掘ると湯が出る。
それだけで、十分に和歌山らしい。
野趣がある。
熊野の山あいにある。
本宮にも近い。
川の音があり、空があり、山がある。
これは、海の湯とも山の湯とも違う。
まさに、川の湯である。
渡瀬温泉
渡瀬温泉も、熊野本宮エリアで見ておきたい。
渡瀬温泉は、自然滞在型の温泉として捉えると分かりやすい。
大露天風呂。
コテージ。
キャンプ場。
四村川周辺の自然。
熊野本宮観光協会は、渡瀬温泉を大露天風呂やコテージ、キャンプ場が点在するリゾート感覚の温泉として紹介している。
湯の峰が巡礼の湯。
川湯が川そのものの湯。
渡瀬は自然滞在の湯。
同じ熊野本宮エリアでも、役割が違う。
ここも面白い。
熊野本宮温泉郷と一言でまとめても、その中身は一色ではない。
湯の峰。
川湯。
渡瀬。
近い場所にありながら、温泉の意味が違う。
これを知るだけでも、和歌山の温泉はかなり見え方が変わる。
巡礼の湯:湯の峰温泉
第8-2回で深掘りしたように、湯の峰温泉は巡礼の湯である。
熊野詣の湯垢離場として語られる温泉地であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の文脈で位置づけられる。
湯の峰温泉の中にある「つぼ湯」は、現在も入浴できる公衆浴場として知られている。
ここで大事なのは、湯の峰をただの「古い温泉」として見ないことだ。
湯の峰は、熊野へ向かう人々が身を清めた場所だった。
つまり、温泉が祈りの前の準備だった。
温泉に入る。
身体と心を整える。
熊野へ向かう。
この流れは、現代の温泉旅行とはかなり違う。
温泉が、観光の目的地である前に、信仰の動線の中にあった。
湯の峰は、そういう意味で和歌山の温泉の中でも特別である。
全国比較の調査では、湯の峰温泉は「温泉街」ではなく「聖地の湯場」として見るべきだと整理されている。
これは、かなりしっくりくる。
湯の峰を草津や城崎と比べても、あまり意味がない。
大きさで見る場所ではない。
賑わいで見る場所でもない。
湯の峰は、聖地へ向かう前の湯場として見るべき場所である。
だから、和歌山の温泉は面白い。
単に温泉があるのではない。
温泉の意味が、土地によって変わる。
湯治の湯:椿温泉と湯川温泉
和歌山の温泉には、落ち着いた湯治系の顔もある。
その代表として、椿温泉を見ておきたい。
椿温泉は、白浜の近くにありながら、白浜とは少し違う空気を持つ。
白浜が明るい海辺リゾートだとすると、椿はもっと静かで、湯治寄りである。
わかやま12湯の説明では、椿温泉について、歴史ある温泉地であり、西日本では珍しい湯治のできる宿もある温泉として扱われている。
白浜に近いからといって、同じように語ってしまうのはもったいない。
近いのに、性格が違う。
これも和歌山の温泉らしいところである。
湯川温泉も、南紀勝浦周辺の温泉地として見ておきたい。
勝浦温泉のような海景や洞窟風呂の派手さとは違い、より湯治的・生活的な温泉として位置づけられる。
このあたりは、全国的な知名度では大きくない。
でも、和歌山の温泉の厚みを考えるうえでは重要である。
白浜や勝浦のような分かりやすい観光温泉だけではない。
静かに湯に入る温泉もある。
温泉は、派手である必要はない。
長く地域に残っていること自体が、価値になる。
わかやま12湯は、和歌山の温泉を束ねる試みである
ここまで見てくると、和歌山の温泉がかなり分散していることが分かる。
だからこそ、「わかやま12湯」のような取り組みは重要である。
わかやま12湯は、県内の温泉地をまとめて発信する枠組みである。
公式メインページに掲載されている温泉地は、わかやま温泉、みなべ温泉、白浜温泉・椿温泉、すさみ温泉、串本温泉、龍神温泉、川湯温泉、渡瀬温泉、湯の峰温泉、南紀勝浦温泉、湯川温泉、太地温泉である。
この一覧を見ると、和歌山の温泉がいかに一色ではないかが分かる。
紀北の海。
紀中の海。
白浜周辺。
すさみ。
串本。
龍神。
熊野本宮。
勝浦。
太地。
かなり広い。
ただし、名前を並べるだけでは伝わりにくい。
「12湯あります」と言われても、県外の人にはピンと来ない。
だからこそ、分類が必要である。
海の湯。
山の湯。
川の湯。
巡礼の湯。
湯治の湯。
こう分けると、和歌山の温泉はかなり見えやすくなる。
わかやま12湯は、温泉地を束ねる入口になる。
でも、その先で必要なのは、単なる一覧ではなく、物語の整理である。
和歌山の温泉が思い出されにくい理由
ここまで見れば、和歌山に温泉がないとは言えない。
むしろ、かなりある。
ではなぜ、「温泉といえば和歌山」と言われにくいのか。
一つは、白浜が強すぎるからである。
白浜は分かりやすい。
海がある。
空港がある。
リゾートがある。
古湯としての歴史もある。
だから、和歌山の温泉イメージは白浜に集まりやすい。
もう一つは、他の温泉地が別々の物語に吸収されやすいからである。
勝浦は、まぐろや那智の滝、熊野那智大社と結びつく。
湯の峰や川湯、渡瀬は、熊野本宮や熊野古道の文脈で語られる。
龍神は、山の秘湯、美人の湯として独立して語られる。
加太は、海辺の港町や友ヶ島の入口として語られる。
つまり、それぞれが強い。
でも、県全体の「温泉」という記憶にはなりにくい。
調査資料でも、和歌山の弱みは温泉が弱いことではなく、温泉が県内で分散し、別々の物語で売られていることだと整理されている。
これは、かなり本質的である。
和歌山の温泉は、弱いのではない。
散らばっている。
だから、束ね直す必要がある。
まとめ
和歌山の温泉は、白浜だけではない。
白浜は強い。
それは間違いない。
でも、白浜だけで和歌山の温泉を語ると、かなり見落とす。
勝浦には、海と港と洞窟風呂がある。
龍神には、山の静養と美人の湯がある。
川湯には、川を掘ると湯が湧くという異色の体験がある。
渡瀬には、自然滞在型の大露天風呂がある。
湯の峰には、熊野詣の湯垢離場としての歴史がある。
椿には、落ち着いた湯治の顔がある。
加太には、和歌山市側の海辺温泉という入口がある。
こうして見ると、和歌山は一つの巨大温泉街ではない。
温泉の意味が、県内で変わる県である。
海の湯。
山の湯。
川の湯。
巡礼の湯。
湯治の湯。
この分類で見れば、和歌山はかなり面白い温泉県として読み直せる。
残念なのは、温泉がないことではない。
ある。
白浜だけでは終わらないほど、ある。
残念なのは、その多様さが、まだ一つの県イメージとして届ききっていないことだ。
次回は、視点を全国に広げる。
草津、別府、箱根、城崎、黒川、有馬、道後。
全国の有名温泉地と比べると、和歌山の温泉は何が違うのか。
そこから、和歌山が本当に目指すべき見せ方を考えてみたい。