残念な和歌山

わさびといえば静岡。でも、“真妻”の名前は和歌山だった。

静岡のわさび栽培発祥を尊重しながら、高級わさびとして知られる「真妻わさび」の名前に残る和歌山の源流を読み直します。

印南町真妻の山あいと清流、わさび田をイメージした真妻わさび発祥地のビジュアル
印南町真妻の山あいと清流、わさび田をイメージしたアイキャッチ。実在するロゴや建物は再現していません。

わさびといえば、どこを思い浮かべるだろう。

たぶん、多くの人は静岡を思い浮かべる。伊豆。天城。清流。寿司屋で出てくる本わさび。「わさび=静岡」というイメージは、かなり強い。

それは間違っていない。

日本のわさび栽培の発祥は、一般に静岡市葵区の有東木とされている。静岡は、わさび栽培の歴史でも、現在の産地イメージでも、堂々たる本場である。

でも、ここで話を終わらせると、また和歌山が背景に消える。

高級わさびとして知られる「真妻わさび」。その“真妻”は、和歌山県印南町の地名に由来するとされる。

つまり、わさび全体の発祥は静岡。でも、高級品種「真妻わさび」の名前をたどると、和歌山に行き着く。

和歌山、また名前だけ全国に出して、自分は知られていない。残念。でも、かなり面白い。

わさび栽培の発祥は、静岡・有東木とされる

まず、ここはきちんと押さえておきたい。

わさび栽培そのものの発祥は、静岡市葵区の有東木とされている。慶長年間、山あいに自生していたわさびを湧水のある場所に植えたことが、栽培の始まりと伝えられている。

その後、静岡のわさびは伊豆などへ広がり、江戸の食文化とも結びついていく。寿司、そば、刺身。わさびが「日本の香辛料」として日常に入り込んでいった背景には、静岡の栽培技術と流通の積み重ねがある。

だから、「わさびといえば静岡」は雑な思い込みではない。歴史的にも、産地としても、かなり強い。

ここを無視して、栽培発祥の話まで和歌山に引き寄せてしまうと、話が薄くなる。和歌山を持ち上げたいからといって、静岡の歴史を消す必要はない。

むしろ、静岡の強さを認めたうえで、和歌山の話に入ったほうが面白い。

では、和歌山はどこで出てくるのか

和歌山が出てくるのは、「真妻わさび」である。

真妻わさびは、国産わさびの中でも高級品種として知られている。香り、辛み、粘り、甘みのバランスがよいとされ、料理人や食通のあいだでも評価されることが多い。

この「真妻」という名前。実は、和歌山県印南町の旧真妻地域に由来するとされている。

現在の印南町川又周辺、かつての真妻地区。ここが、真妻わさびの発祥地とされる場所である。

わさびと聞けば静岡を思い浮かべる。でも、その高級品種の名前には、和歌山の山あいの地名が残っている。

これは、かなり和歌山らしい。

主役級の名前を持っている。でも、本人はあまり知られていない。

印南町真妻、山あいのわさび

印南町というと、海沿いの町という印象を持つ人も多いかもしれない。でも、町の内側へ入ると、山と川の風景がある。

真妻わさびの舞台になるのは、そうした山あいの地域である。

清らかな水。涼しい谷筋。直射日光が強すぎない環境。わさびは、そういう繊細な条件を必要とする植物である。

だから、どこでも簡単に育つわけではない。名産品というより、土地の条件にかなり縛られる作物である。

印南町真妻でわさび栽培が始まった時期については諸説ある。明治21年、1888年以前から栽培が始まっていたという説もある。

はっきりと「この年、この人が始めた」と断定できる話ではない。でも、少なくとも真妻という地名が、高級わさびの品種名として残ったことは大きい。

地名が、食文化の名前になった。ここに、和歌山の存在感がある。

でも、真妻の産地イメージは和歌山にない

ここがまた残念である。

「真妻わさび」と聞いても、それが和歌山由来だと知っている人は多くない。わさび全体のイメージが静岡や長野に強く結びついているからだ。

実際、現在の真妻わさびは、静岡など他地域でも栽培されている。市場や料理の世界では、「真妻」は高級わさびの品種名として知られていても、「和歌山県印南町の真妻」という土地まで思い浮かべる人は限られる。

つまり、和歌山は名前を残しているのに、産地イメージでは前に出にくい。

これは醤油の湯浅にも少し似ている。

湯浅は醤油醸造の発祥の地として語られる。でも、日常の醤油イメージは千葉の大手ブランドが強い。

真妻も同じである。

名前は全国に出ている。でも、和歌山の名前はあまり出てこない。

和歌山、またしても自己紹介が下手すぎる。

水害と環境変化で縮んだ産地

真妻わさびの話は、単なる「実は和歌山すごい」で終わらない。

印南町の真妻地域では、かつてわさび栽培が盛んに行われていた。しかし、昭和28年、1953年の台風による水害で、わさび田は大きな被害を受けた。

さらに、その後の水量減少や環境変化もあり、栽培に適した場所は減っていった。生産者も減り、栽培面積も縮小した。

つまり、真妻わさびは「昔すごかった名産」ではなく、失われかけた産地の記憶でもある。

発祥の地とされる場所がありながら、現在の産地イメージではあまり知られていない。名前は残っているのに、土地の記憶は薄くなっている。

ここに、残念な和歌山らしさがある。

復興する人たちがいる

ただし、この話は過去形だけでは終わらない。

印南町では、真妻わさび発祥の地を守ろうとする動きがある。真妻わさび振興協議会は、真妻ブランドを残すため、わさび田の復興に取り組んでいる。

大きな産地として一気に全国へ売り出すというより、まずは発祥の地を守る。その土地に残った名前を、もう一度土地と結び直す。

これは、派手な観光PRとは違う。でも、地域メディアとしてはかなり大事な話である。

有名な観光地だけが、和歌山の価値ではない。山あいの地名が、全国の食文化に名前を残している。そして、その名前を消さないようにする人たちがいる。

そこに、和歌山を読み直す面白さがある。

“真妻”は、和歌山の地名だった

わさびといえば静岡。それは間違っていない。

日本のわさび栽培の発祥は、静岡・有東木とされる。静岡は、わさびの歴史でも、現在の産地イメージでも強い。

でも、高級わさびとして知られる「真妻わさび」の真妻は、和歌山県印南町の旧真妻地域に由来するとされる。

和歌山は、わさび全体の主役ではない。でも、真妻という名前の根っこには、和歌山の山あいがある。

それなのに、あまり知られていない。

和歌山、やっぱり残念である。でも、その残念さの中に、ちゃんと掘る価値がある。

わさびといえば静岡。でも、“真妻”の名前は和歌山だった。