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横浜では「相乗り市長」に3党が辞職要求。和歌山市長選の“自主投票”を考える

横浜市長を支えた主要政党が約1年後に辞職要求へ。2022年と2026年の和歌山市長選を比較し、地方選挙の「相乗り」「自主投票」を考える。

横浜の地方政治をきっかけに和歌山市長選の相乗りと自主投票を考える記事サムネイル
横浜から和歌山市長選を考える

2026年8月、横浜市政で少し異様な光景が生まれている。

山中竹春・横浜市長の言動について第三者による調査が行われ、複数の行為がパワーハラスメントに当たると認定された。横浜市は7月30日、調査報告書が提出されたことを公表している。

山中市長は横浜市会の委員会で謝罪したものの、辞職はせず続投する意向を表明した。一方、市議会最大会派の自民党市議団は辞職を求める方向に動き、立憲民主党、公明党の会派も同様に辞職を求める動きが報じられている。

ここだけなら、「市長のパワハラ問題と市議会の対立」という地方政治ニュースに見える。しかし、わずか1年前の横浜市長選を振り返ると、少し違った景色が見えてくる。

1年前、自民・立憲・公明は山中市長を支えていた

山中氏が初当選した2021年の横浜市長選では、立憲民主党の推薦を受け、自民党側が支援した候補などを破って当選した。当時はむしろ「野党側の候補」として位置づけられていた人物だった。

ところが2025年の市長選では構図が大きく変わった。山中氏は立憲民主党だけでなく、市議会で大きな勢力を持つ自民党、公明党からも支援を受けた。いわば「自公立」の相乗りである。

再選から約1年。今度は、その自民・立憲・公明が市長に辞職を求める側へ回ろうとしている。問題が明らかになっても「選挙で応援したから」という理由だけで支え続けるほうが不自然だろう。ただ、この出来事は地方政治における「相乗り」という仕組みについて、少し考えさせられる。そして、それは和歌山市にとっても他人事ではない。

2022年の和歌山市長選も「相乗り」だった

2022年、和歌山市長選に3選を目指して出馬した尾花正啓氏は、自由民主党、立憲民主党、公明党、国民民主党という4党から推薦を受けていた。与党と野党の枠を超えた、かなり幅広い相乗りだった。

選挙は尾花氏と新人・吉本昌純氏の一騎打ちとなり、尾花氏が6万4721票を獲得して3選した。投票率は31.54%だった。地方選挙では珍しくない光景である。

市長と議会がある程度協調できれば、予算や政策を進めやすくなる。行政にとって「安定」は重要である。ただし、安定と引き換えに失われるものもある。

2026年の和歌山市長選は正反対だった

2026年、3期12年を務めた尾花市長が退任を表明し、後継を選ぶ和歌山市長選が行われた。今回は2022年とはまるで違った。主要政党は候補者を一本化せず、自主投票。最終的に6人が立候補する混戦となった。

選挙の結果、尾﨑太郎氏が3万215票を獲得して当選した。2位の片桐章浩氏が2万2998票、浜田真輔氏が2万2431票。さらに旅田卓宗氏、芝本和己氏、25歳の幸前そら氏が続いた。票はかなり分散した。

「候補者が多くて分かりにくい」「誰が有力なのか見えにくい」。そんな選挙だったと感じた人もいただろう。実際、選挙前には「戦いの構図が定まらない」「保守分裂含みの混戦」とも報じられていた。しかし、横浜で起きていることを見ると、別の問いも浮かんでくる。

本当に「相乗りで候補が一本化された選挙」のほうが、市民にとって分かりやすく、望ましいのだろうか。

「みんなが応援する候補」は、本当に分かりやすいのか

自民党も、立憲民主党も、公明党も同じ候補を推薦する。選挙戦としては安定し、候補者にとっても大きな組織票を期待できる。市長になった後も議会との関係を構築しやすい。一見するとメリットは多い。

しかし有権者から見ると、「では、この候補と対立する選択肢はどこにあるのか」という問題が出てくる。国政では政策の違いを強く主張している政党が、地方選挙になると突然同じ候補の応援席に並ぶ。もちろん地方政治と国政は違う。それでも、有権者からすれば分かりにくさは残る。

2022年の和歌山市長選の投票率が31.54%だったことだけで相乗りとの因果関係を断定することはできない。ただ、地方選挙への関心をどう高めるかという問題と、無関係とも言い切れないだろう。

逆に「自主投票」にも問題はある

では、2026年のように主要政党が自主投票にすればいいのか。そんな単純な話でもない。今回の和歌山市長選では6人が立候補し、票は大きく割れた。当選した尾﨑氏の得票は3万215票で、有効投票全体の過半数を獲得したわけではない。

多くの候補者が出れば、有権者に選択肢は増える。一方で、「政策の違いが分からない」「結局、誰を選べばいいのか分からない」という状態にもなりやすい。だから、相乗り=悪、自主投票=善という話ではない。重要なのは、その間にある。

政党ではなく、「この人を市長にする理由」が見えるか

横浜の事例が興味深いのは、2025年の選挙で成立した政党連合が、わずか1年後には市長へ辞職を迫る側に回っている点だ。選挙で応援した政党が、市長を最後まで支える保証などない。それ自体は当然である。

市長と議会は別々に市民から選ばれる二元代表制だからだ。むしろ必要なのは、市長と議会が一定の緊張関係を持ちながら、それぞれ市民に対して責任を負うことである。

そう考えると、市長選で本当に見るべきなのは「自民党が推薦している」「立憲民主党も応援している」「主要政党がみんな乗っている」という看板ではないのかもしれない。なぜ、この人物を市長にするのか。何を任せるのか。4年間で何をしてもらうのか。そして問題が起きたとき、誰がチェックするのか。本来はこちらのほうが重要だ。

和歌山市長選の「分かりにくさ」は、悪いことだけではなかった

2026年の和歌山市長選は、確かに分かりにくかった。6人もの候補が並び、主要政党は自主投票。従来のような「○○党推薦」という構図だけでは候補を整理しにくい選挙だった。

しかし見方を変えれば、有権者が候補者自身を見る必要がある選挙でもあった。政党の看板ではなく、何を言っているのか。何をしてきたのか。和歌山市をどう変えたいのか。そうしたものを一人ずつ比較する必要があった。

25歳の幸前そら氏が7136票を獲得したことも、そうした選挙だからこそ生まれた現象の一つなのかもしれない。もちろん、自主投票だったから良い選挙だった、とまで言うつもりはない。ただ、横浜で今起きていることを見ると、「主要政党が一人の候補にまとまること=安定した良い市長選」とも簡単には言えなくなる。

市長を選ぶのは、政党ではなく市民だ

横浜と和歌山。人口規模も政治状況もまったく違う二つの都市を、そのまま比較することはできない。しかし、一つだけ共通する問いがある。市長とは、誰のための市長なのか。

政党が候補者を推薦すること自体は当然の政治活動である。組織の支援が必要になる場面もある。市長と議会の協力も行政運営には欠かせない。それでも最後に市長を選ぶのは、市民だ。

2022年の和歌山市長選は4党相乗り。2026年は主要政党が自主投票し、6人が争った。そして横浜では、1年前に市長を支援した主要会派が今、その市長に辞職を求めようとしている。この三つを並べてみると、地方選挙でよく見る「推薦」という二文字が、思っていたほど絶対的なものではないことが分かる。

次の選挙で見るべきなのは、「どの党がこの人を応援しているのか」だけではない。「自分は、なぜこの人に4年間を任せるのか」。その理由を有権者自身が持てるかどうか。2026年の和歌山市長選は、そんな当たり前のことを考える選挙だったのかもしれない。

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参考資料